2024/10/04 15:10

秋が深まると、私はいつもあの小さな書道教室のことを思い出す。子どもの頃、毎週土曜日になると、母に連れられてその教室に通っていた。木造の古い家屋は、風が吹くたびに軋む音がして、畳の香りがどこか懐かしい空間だった。窓の外には、秋になると鮮やかな紅葉が広がり、教室の静寂と調和するように木々が風に揺れていた。

教室には、お年寄りの先生がいた。先生はいつも穏やかで、私たち子どもたち一人一人に丁寧に筆を持つ手を指導してくれた。墨の香りが広がる部屋で、静かに集中して筆を走らせる時間が、私にとっては特別だった。秋の冷たい風が窓から入ってきても、筆を握っていると不思議と心が温まる気がした。

その教室での時間は、書道だけでなく、季節を感じる大切な機会でもあった。秋の紅葉が進むにつれて、先生はいつも詩や歌の言葉を書に表現するよう指導してくれた。「秋の日は釣瓶落とし」という句を、私は何度も書いたのを覚えている。夕暮れが早くなる秋の日、空が茜色に染まるのを思い浮かべながら、筆先に思いを込めた。

しかし、その書道教室も、私が中学に進学する頃には通わなくなってしまった。忙しさに追われ、書道をする時間も少なくなり、教室の先生にも最後の挨拶をできずじまいだった。あの教室の風景も、先生の優しい笑顔も、いつの間にか遠い記憶の中に埋もれていった。

大人になり、秋が来るたびに、ふとあの書道教室のことを思い出す。書道をすることはなくなったけれど、あの静かな時間や、紅葉の美しさ、そして筆に向き合っていた自分の姿が蘇る。人生の慌ただしさの中で忘れかけていたけれど、書道は私に、心を落ち着けて季節や時間と向き合う大切さを教えてくれていたのだ。

ある秋の日、久しぶりに筆を手に取り、紙の上に向かってみた。墨をする音、筆が紙を滑る感触が懐かしく、自然とあの教室での思い出がよみがえる。筆先に集中し、心を無にする感覚は、今でも変わらない。

秋になると思い出すのは、ただの書道の時間ではない。心を静かにし、自分自身と向き合う時間を教えてくれた、あの教室の記憶だ。秋の風が吹くたびに、私はまた、あの時の自分に戻り、静かな喜びを感じる。