2024/05/28 17:28
私が書道を始めたのは、小学校の2年生の頃だった。母が何気なく「書道教室に通ってみない?」と言ったのがきっかけだ。最初は興味もなく、ただの習い事の一つとして受け止めていた。しかし、その扉を開いた瞬間から、私の世界は少しずつ広がり始めた。
教室は古い日本家屋の一室で、畳の匂いが漂い、静寂の中に時折聞こえる筆の音が心地よかった。先生は白髪の上品な女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。彼女の手元にある墨汁と筆の動きに目を奪われた私は、自然とその美しい世界に引き込まれていった。
初めての授業で、先生は「初心」という字を書いて見せてくれた。その力強くも繊細な筆遣いに驚いた私は、自分も同じように書いてみたいと思った。しかし、実際に筆を握ってみると、思うように動かず、墨の量や力加減もわからず、紙はすぐに黒く染まってしまった。
「大丈夫、最初は誰でもそうなのよ」と先生は優しく微笑んで言った。その言葉に少し安心し、私は毎週欠かさず教室に通うようになった。
時間が経つにつれ、私は少しずつ上達していった。筆の扱い方、墨の濃淡、紙への圧力の加減など、細かい技術を習得していく中で、書道の奥深さを知るようになった。そして、何よりも心に響いたのは、書道が心を落ち着ける時間をもたらしてくれることだった。
ある日のこと、先生が「今日は特別な課題を用意したの」と言って、私に一枚の紙を差し出した。そこには「夢」という字が書かれていた。「この字を書いてみて」と先生は言った。私は一瞬戸惑ったが、心を落ち着け、ゆっくりと筆を動かし始めた。
書き終わると、先生は静かに私の作品を見つめ、「素晴らしいわ。あなたの心の中にある夢が、この字に表れているわね」と言った。その言葉を聞いて、私は自分が書道を通じて何か大切なものを見つけたような気がした。
その後も書道は私の生活の一部となり、成長するにつれて、その魅力にますます惹かれていった。高校生になった時、書道部に入部し、大会にも参加するようになった。そこでの経験は、私にとってかけがえのない宝物となった。
大人になった今でも、書道は私の心を支えてくれる大切な存在だ。忙しい日常の中で、ふと筆を握ると、あの頃の静かな時間が蘇り、心が落ち着く。書道を通じて得たもの、それは技術だけではなく、心の平和と自分自身を見つめ直す力だったのだと、今になって強く感じている。
私の子供の頃の書道の経験は、まるで一つの物語のように心に刻まれている。そして、その物語はこれからも続いていくのだろう。